朝日新聞様が成人の日の社説で、
尾崎と今の若者、
もしくは当時の若者と今の若者を比較する
社説を書いてしまい、僕のツイッター上は
朝日、ならびに尾崎に対する批判的なコメントであふれてしまった。
(朝日新聞の社説)
成人の日といえば、
20歳でお酒が飲める年ということで
サントリーの開高健さんが書いた若者へのメッセージ広告を思い出す。
おそらくこの社説の筆者はそのあたりをイメージして
この文章を書いてしまったのだろう。
しかし、Twitterでの批判を先に読んだので
よほどひどい内容なんだろう、と思いながら
社説を読んだが、そこまで非難される内容か?と思ってしまった
ただ、この社説にせよ、香山リカさんにせよ、一つ間違っているのは
当時にしても、尾崎豊が若者全体に幅広く支持されていた訳ではない、といことである。
僕は確か高校生から大学生、そして社会人になった時、
彼はなくなったわけだが、
高校、大学時代は、ほとんど共感出来なかった。
尾崎最高!って教室で叫んでる人達はどちらかと言えば少数派だったと思う。
当時でもそんな感じだったのに
この時代に、突然「尾崎豊を知ってるか?」と話しかけられても、
当時を知る人が、負のリアクションをしてしまうのもうなずける。
当時は若者全てが熱狂していたように感じさせてしまうところに
時のうつろいによる事実を変容させる恣意性と、メディアの嘘を感じてしまういのである。
確かに、今の若者の行儀の良さは
仕事場でも感じるところであるが
では、この社説の著者の頃、若者は社会に怒りを燃やしていたか、と
聞かれれば、決してそんなこともないわけで。
自分達世代をほうっておいて、いきなり若者に対して
尾崎を聞け、と言ってもねぇ、が正直な感想ではある。
ただ、このような場所にいきなり引き合いに出され
尾崎豊の価値が下がるのは残念でならない。
社会人になってからファンになり
CDを聞きまくった人間としては
思い出といてソーッとしておいて欲しかったし
今更麻薬中毒だなんだって言われてもねえ、がTwitterの感想。
なんかの裁判で裁判官が判決文の中で
「さだまさしの償いという曲を知ってますか?」
というのが話題になったこともあるが、この件とは何の関係もない。
尾崎と今の若者、
もしくは当時の若者と今の若者を比較する
社説を書いてしまい、僕のツイッター上は
朝日、ならびに尾崎に対する批判的なコメントであふれてしまった。
(朝日新聞の社説)
成人の日といえば、
20歳でお酒が飲める年ということで
サントリーの開高健さんが書いた若者へのメッセージ広告を思い出す。
おそらくこの社説の筆者はそのあたりをイメージして
この文章を書いてしまったのだろう。
しかし、Twitterでの批判を先に読んだので
よほどひどい内容なんだろう、と思いながら
社説を読んだが、そこまで非難される内容か?と思ってしまった
ただ、この社説にせよ、香山リカさんにせよ、一つ間違っているのは
当時にしても、尾崎豊が若者全体に幅広く支持されていた訳ではない、といことである。
僕は確か高校生から大学生、そして社会人になった時、
彼はなくなったわけだが、
高校、大学時代は、ほとんど共感出来なかった。
尾崎最高!って教室で叫んでる人達はどちらかと言えば少数派だったと思う。
当時でもそんな感じだったのに
この時代に、突然「尾崎豊を知ってるか?」と話しかけられても、
当時を知る人が、負のリアクションをしてしまうのもうなずける。
当時は若者全てが熱狂していたように感じさせてしまうところに
時のうつろいによる事実を変容させる恣意性と、メディアの嘘を感じてしまういのである。
確かに、今の若者の行儀の良さは
仕事場でも感じるところであるが
では、この社説の著者の頃、若者は社会に怒りを燃やしていたか、と
聞かれれば、決してそんなこともないわけで。
自分達世代をほうっておいて、いきなり若者に対して
尾崎を聞け、と言ってもねぇ、が正直な感想ではある。
ただ、このような場所にいきなり引き合いに出され
尾崎豊の価値が下がるのは残念でならない。
社会人になってからファンになり
CDを聞きまくった人間としては
思い出といてソーッとしておいて欲しかったし
今更麻薬中毒だなんだって言われてもねえ、がTwitterの感想。
なんかの裁判で裁判官が判決文の中で
「さだまさしの償いという曲を知ってますか?」
というのが話題になったこともあるが、この件とは何の関係もない。