槇原敬之の「NG」という歌の歌詞に
ボタンが取れているだけで着れなく
なったシャツを持ったまま
という歌詞がある。槇原敬之が出たての頃のアルバムに入っていて、まだどうでも良くなる前、結構聞いて、「わーリアルな歌詞だなー」と思った。
一人暮らしのあるあるで、ボタンをつけられないのだ。
家庭科でやった記憶はあるけど、確かにあのときはできたけど、今は全く手がかりがない。
袖のボタン、胸のボタン、襟のボタン、ボタンはクリーニング屋さんの強力洗濯とアイロンがけにより、結構なくなる。
クリーニング屋で畳まれたシャツを袋からだし、朝着たとき、胸のボタンがないと、ちょっと落ち込む。この歌を歌う余裕もない。勘弁してよ!という気分になる。翌日とかまだプレスしたてのラインのついたシャツをクリーニング屋に持ち込み、最大限の笑顔で、受付の方に「あのーボタンが取れちゃっていて」と、クリーニング中に取れたことを匂わして、笑顔を振りまく。そうすると「つけときますね」と優しく返事されると、大成功。まぁ断られたことないけど。
山の手の住宅街の高いクリーニング屋ではめったに取れなかったが、がさつな町のうさぎちゃんのクリーニング屋は、取れまくった。やすかったからね。
でも、ボタンが取れているだけで、という槇原敬之の歌詞はリアルだなーと思った。
だって、バーボンのボトルを抱いて窓際に立つ人なんか実生活ではいないもんね、阿久悠先生といえども。
もう一曲。僕の彼女はウエートレスといつ曲で、
髪が同じ香りになる夜も
というのがある
多分この曲だったと思うけど、同じお風呂で、同じシャンプー使った、という隠喩と思われるが、なにかのインタビューで、本人が、「男の友達が泊まりに来たときこんなことがあり、歌詞を思いついた」と答えていたのにびっくりした記憶がある。今回のテーマは歌詞のリアリティである
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