空虚なクリスマスと「絆」

またこの季節がやってきた。

町にはLEDライトが溢れ、お店からはエンドレスのクリスマスソング、
トナカイやサンタクロースがウインドウに溢れ出す。

なんか浮かれた気持ちになるのも、間違いないのだけど
しかし、なんのために浮かれてるんだ、ってのを考えると
そこにあるのは「虚」。

キリスト教徒でもないし、
イエスキリストの誕生日に、
なんで、こんなに街中騒がなければならないのだろう、って思ってしまう。

人の宗教に意味なく乗って、
ここまで雰囲気を盛り上げ、つまるところ
どれだけ財布の紐を緩められるか、という
企業のゲームが展開しているだけのクリスマス。

不思議なもんで、食卓にファストフードのメニューが
上がることが素敵なことになる。
ケンタッキーが夕飯って、普通の日なら敗北感でしょ?

そんなことを考えていたら、
これまた目に付く「絆」とか、「がんばろう」とか
そんな言葉も最近特に商業の匂いがしてならない。

クリスマスにせよ、大震災にせよ
最後はレジスターの音が聞こえるといういみでは
その言葉の中の空虚感という共通点。