今まで黙ってましたが、やっぱ好きです。

最近、高いイヤホンを買った。

コンサートでアーティストが使ってるモニターのメーカーで
まぁ、それなりに納得感のあるお買い物だったが、
そのイヤフォンを使って、さだまさしを聞いている。

iTunesで20曲位大人買いをしたのだが、
その中の、防人の詩をさだまさし26歳の時に書いた、というのは
衝撃の事実だった。

僕が26の時は、給料全額をキャバクラに投入していた。

小学生の高学年から、
周りが松田聖子だなんだと騒いでいるのを覚めて見ながら
隣のおじさんにもらったフォークギター片手に
Fで挫折していた頃、それこそレコードがすり切れるほど
さだまさしを聞いていたが、歌詞の7%も理解してなかったのは言うまでもない。

社会人になって、なんかいろんなことが思い通りに回らなくなると
なんかふるさとだ、家族だという歌詞が
鬱陶しいく感じだし、暫く違う軌道を回っていたが
今回はハマった。完全アウトである。

家族を失ったり、両親がそれなりに年をとって、という自分の今の状況に対して
「そこまで言葉にして歌わないで」、
という傷口にオキシドールを塗りつけるような
その歌詞が非常に普遍に感じられて、逆に安心感を醸しだすのである。

「防人の歌」の歌詞で

おしえてください
私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと
老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと
死にゆく悲しみと
現在の自分と


小学生の苦しみなんて所詮あほなもんである
しかし、今の年で、
生きていく悲しみ
老いゆく悲しみ
なんて言われると、たしかになぁーと腕を組んで考えこんでしまうのである。

この歌に防人の詩という万葉集からの言葉をタイトルにするセンス、
うーん、やっぱいい。

このところ隠れさだまさしだったが、
コンサートのチケット探してみよう。

一人で会場に行き、
一人バレないように涙ぐむのも
さだまさしの世界だと思う。