報道の自由

職業選択の自由♪
って昔転職マガジンのCMソングにあったけど、
報道の自由について

このなんか陳腐な言葉は
なんか胡散臭く感じている。日本で聞くと。

しかし、この言葉の重さを今日は実感した。

香港のホテルで朝CNNをつけると
このニュースがTOPである。
盲目の活動家(って言い方もどうなん?)と最近話しをした記者が
北京支社からライブでレポートをしている


ラウンジで見た衛星版の日本の新聞も、
大きくこのニュースを扱っている。

香港は今や、香港特別行政区という名称で
中華人民共和国の元に管理されているが、
香港のローカルメディアは、このニュースを遠慮無く伝えている。

そんな中、CCTV(中国国営放送)の英語版では
あっさりスルーである。

北朝鮮で都合が悪いニュースがスルーされるのは
まぁ、アナウンサーの喋り方からなにから奇妙だから
まぁそうだよね、って感じなんだけど

CCTV英語版は、スタジオの様子も
アナウンサーの立ち振る舞いも、世界標準、って感じなんで
スルーされると妙に違和感を感じるのである。

包装紙は世界標準だけど、
中身は中国ですよ、というその有り様が。

伝えたい、ということを
誰に遠慮すること無く伝える、報道の自由、というものの
重さを、ここ香港で実感するのです。

原発問題で、ソーシャル系には
メディアは情報を隠蔽している、との声がやたらあったけど
まぁそんなことはない、というのは、その当時、どこかに書いたのだけど
隠蔽しているのではなく、いろんなことが起こってる事を理解できなかった、
ということだと思う。
そして、政府の発表を垂れ流したものだから、
それなりの人数と質の視聴者をがっつり失望させ、
テレビ離れ新聞離れさせてしまったわけだけど

世界や中国、というものを相手にしてちゃんとした報道をしている
メディアには、報道の自由という言葉をただお題目のように
唱えているのではなく、覚悟を感じる。

日本のメディアも、
「中国ではこのニュースは伝えられていません」
位は紹介するのだろうが、
直ぐそばに中国との国境があり、
イギリス植民地時代から謳歌してきた自由が
どれだけ死守できるのか、に覚悟をしている
報道の強さと、報道の自由という言葉の重みを感じたのである

日本でCNN見てても絶対感じなかったから
今回はこの感覚をお土産にします。