僕のささやかな誇りは、村上春樹さんの小説を大ブレーク前から読んでいた、ということ。
学生時代に講談社の文芸系新人賞をとった矢吹透という作家が
ホットドックプレスに連載をしていた
その年令特有の甘っちょろい悩みを綴ったエッセイで、
大学時代という大モラトリアム時代に同じような悩みを感じていた僕は
当時に連載されていた北方謙三のハードな文章より
彼のナイーブな文章に惹かれた。
その彼が村上春樹の事を書いていたので、読んでみた、というだけのことなんだけど
矢吹は村上春樹の本を
希望を与えてくれるようなものではないけど、
今の状況もまたいいか、という気持ちにさせてくれる、と書いていた(と思う)
初めて「風の声を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の三部作を読んでから
「ノルウェーの森」「ダンス・ダンス・ダンス」以降の世の中のフィーバーがあっても
静かに読み続けてきた。
旅行に行くときは文庫本をカバンに入れて
旅のスキマ時間に過去の作品を読むのがお気に入りになり、
新作は金曜、土曜の深夜に主にベットでページを捲る時間が至高の時間。
今回の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も
過剰に期待する訳でもなく、飽きたわけでも無く、
コーヒー豆が無くなったから買う、というような生活上の当たり前の所作として買い、
夜を通して読み終えた。
今回も良かった、一番好き、という作品になると思った。
相変わらず、孤独な主人公が、
魅力歴な女性を通じて、自分のずれた世界からの居場所を修正する、
その過程では常に「死」の匂いが漂う中、物語が進行していく。
早朝の静かな時間に読み終えた時、
この小説の終盤の舞台を借りれば
夜の波一つない湖の中心に、小さな石が投げ込まれ、
波紋が湖全体に広がっていく、という小さな小さな衝撃を僕に与えて
その波紋がやがて消えていく、そんな読了感だった。
PS
濃厚な巡礼の話が続いた後、
突然新宿駅の描写が始まる。
新宿駅を行き交う様々な人や駅そのものの描写が
突然ズームアウトした画面になる部分が
物凄く映像的だった。
ラブ・アクチュアリーを何故か思い出した。
学生時代に講談社の文芸系新人賞をとった矢吹透という作家が
ホットドックプレスに連載をしていた
その年令特有の甘っちょろい悩みを綴ったエッセイで、
大学時代という大モラトリアム時代に同じような悩みを感じていた僕は
当時に連載されていた北方謙三のハードな文章より
彼のナイーブな文章に惹かれた。
その彼が村上春樹の事を書いていたので、読んでみた、というだけのことなんだけど
矢吹は村上春樹の本を
希望を与えてくれるようなものではないけど、
今の状況もまたいいか、という気持ちにさせてくれる、と書いていた(と思う)
初めて「風の声を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の三部作を読んでから
「ノルウェーの森」「ダンス・ダンス・ダンス」以降の世の中のフィーバーがあっても
静かに読み続けてきた。
旅行に行くときは文庫本をカバンに入れて
旅のスキマ時間に過去の作品を読むのがお気に入りになり、
新作は金曜、土曜の深夜に主にベットでページを捲る時間が至高の時間。
今回の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も
過剰に期待する訳でもなく、飽きたわけでも無く、
コーヒー豆が無くなったから買う、というような生活上の当たり前の所作として買い、
夜を通して読み終えた。
今回も良かった、一番好き、という作品になると思った。
相変わらず、孤独な主人公が、
魅力歴な女性を通じて、自分のずれた世界からの居場所を修正する、
その過程では常に「死」の匂いが漂う中、物語が進行していく。
早朝の静かな時間に読み終えた時、
この小説の終盤の舞台を借りれば
夜の波一つない湖の中心に、小さな石が投げ込まれ、
波紋が湖全体に広がっていく、という小さな小さな衝撃を僕に与えて
その波紋がやがて消えていく、そんな読了感だった。
PS
濃厚な巡礼の話が続いた後、
突然新宿駅の描写が始まる。
新宿駅を行き交う様々な人や駅そのものの描写が
突然ズームアウトした画面になる部分が
物凄く映像的だった。
ラブ・アクチュアリーを何故か思い出した。