さだまさし、中島みゆきを厭忌してきた時代

最近、聞きたい音楽がない、という話を前に書いた。
年をとったこともあり、フォーチュンクッキーなんて全く興味が無いので
クラシックに逃げていた。

今夜、中島みゆきを、数曲、きちんと聞いてしまった。
タクシードライバー蕎麦屋泣きたい夜に

パンドラの箱ですね、まさに。

中学の時に、周りがアイドル(松田聖子とか中森明菜)に騒いでいた時、
福田元首相のように「あなたとは違うんです」と言わんばかりに
さだまさしを聞いていた

まだひげも満足に生えていない厨房には、歌詞の意味もわかったようなわからないような、
それでも好きだったわけだが、大人になってから全く聞かなくなった。

人生思い通りにならず、自分の今と過去の分かれ道のことなどを
つらつらと考える不惑なんて歳になると、
さだまさしの歌詞は、そこをえぐってくるのである、そこをさけたかったのだ。
(随分田舎に帰ってないのに「案山子」とか聴けないのだ)

そして中島みゆきにも同じものを感じた。
暗いとか嘲笑しながら、避けていたのは単に自分の問題に向きあうことを避けていたのだ、と。

さだまさし、中島みゆきは暗いと言われ、
山下達郎、松任谷由実はリゾート系の明るい音楽と言われたのは日本がバブル絶頂の時代だった。

みんなワインをスパークさせて、踊って、ブランドの紙バックをいくつも持って海外を闊歩していた時代、
そんな時代が終わり、人生も折り返し地点を回った今、
一人自分と向き合った時、「それは言わない約束でしょ」的な歌詞を
ギターバックに聞かされる自虐の時間が、何故か、心に優しく感じる秋の深夜なのである。