昭和史開封①若者の神殿だった駅前のマルイ


 地方の駅前にあるものは、マルイとリクルートビルとはよく言われたものだ。昭和のデザイナーズブラブームで、マルイは勢いに乗った。マルイのある地方都市では若者の神々の神殿のような存在だった。


ちなみに土日に七時のニュースを担当している青井実アナはマルイ御曹司の家柄だそうだ。民放ならコネで入社できたのに、と思うが、看板ニュース番組のキャスターで、イケメンだから、NHKでも目立っだろう。一方で本業ではなかなか大変なマルイは民放がその息子を抱えるほど、優良な企業ではなくなったのかもしれない。諸行無常の響きありだ。


80年マルイの勢いは、民放全局でミニ番組を帯で持っていた程だった。日本テレビではスポーツ結果の番組、TBSではキャッチアップというトレンド番組、テレ朝ではCNNヘッドライン、フジテレビでは不明。テレ東ではなかったのかな?大盤振る舞いである。TBSでは、当時始まった筑紫哲也のニュース23の第二部が終わると、キャッチアップが始まった。当然その番組中には多分にイメージ的なマルイのCMが流れた。当時話題だったクリスマスエキスプレスの対抗してるのかと思うほど、クリスマス時期にはロマンチックなCMが流れた記憶がある。桑田佳祐のクリスマスの名曲を使ってなかっつたっけ?


ミニ番組といえども、バブル時期で、全曲で帯番組を持ち、CMも制作していたとは大変な出費であろう。マルイといえば、本店は中野で、電気製品を扱うフロアもあり、MDウォークマンを買った記憶もあるが、売り場はどんどんファッションブランドが占領していき、新宿は、本店、フォッション館、メンズ館とマルイの街になった。フィールドというスポーツ館というべきビルまでできたのが、マルイのピークだったのかもしれない。

 CMが描くマルイの世界はどんどんイメージが高くなったけど、マルイの店舗に行くと、家電から店によっては食料品フロアまであり、イメージが拡散してしまってるのが残念、とマルイの就職面接で話、内定をもらったのは私だよ!


今なら問題になりそうな高利貸しと赤いカードとデザイナーズブランドの華々しい香り。まさにバブルの象徴だったか、最近は池袋店の撤退が伝えられ、店内には100円ショップが入り、ユニクロが並ぶ。時代にキャッチアップしてるのか、しはぐれたのか?マルイの混迷は続くのである。家業を継がず、NHKの七時のニュースに顔を見せる青井実くんの判断の正しさだけが、光るのである。そういえば、エイムクリエイツというハウスエージェンシーもあったな。

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