そもそも、このサイトは服部克久さんの業績を称えるはずが、どうだろう?最近他の話ばかりしている。反省して。
服部克久さんの楽曲をタイトルとともに把握している人は少ない。
でも、曲を聞くと、あっ!しってる!となる。僕は人の車の助手席で、自分のディバイスを繋いで、曲をかける名人なので、このリアクションはよく見てきた。
ほんとたくさんの服部さんの楽曲を皆さん聞いてるのだ。その中でも代表的な何曲のうちの一つ、「自由の大地」について。
これは視聴率を無視して放送していたニッセイの一社提供の新世界紀行のテーマ曲である。
服部さんのテレビのテーマ曲の秀作は、ザ・ベストテン、ミュージックフェア(アレンジ)、トムソーヤの冒険、カノッサの屈辱と数あれど、この曲はある種別格である。
その後ピアノバージョン、二胡バージョン、米良美一のボーカルバージョン、果ては変奏曲まで作られているのだから大変な騒ぎである。
ティンパニとともに始まり、弦の高いモスキートトーンの様な美しいメロディから、変調して突如明るくなる。その後再びマイナーになり、オーボエの物悲しい響きで終わる。
贔屓の引き倒しにならないように注意しなくてはならないのだが、こんな美しいメロディを紡ぎ、そのメロディに対して、美しすぎるアレンジを施す、ほんと天才だと思う。服部さんの曲の特徴はタイトルが見事に楽曲になっていること。自由の大地と言われると、なんかその物語が見えてくるのだ。
日曜の夜に放送されていたため、この曲を聞くと、暗い気持ちになる、という感想が多くネットにある。サザエさんのテーマとおなじだ、ただし視聴率は桁違いだが。
TBSの当時の社長は、経理出身の人で、新聞のインタビューで、好きな番組を聞かれ、この番組を答えていたのを見た、天才副部長が、こういうとき、こんな保守的な番組を社長が答えてはだめだ。もっと、とんがった番組を社長は答えるべきだ、という感想を聞き、妙に感心したことを覚えている。
服部さんのコンサートでも、好んで演奏されていたが、この曲の編成のミュージシャンを用意してというのは大変なことであろう。でも、CDと同じサウンドがステージから聞こえてくるのだ。
こんな曲は日本ではなんと区分されるのか?イージーリスニング?環境音楽?そんな区分を超えて素晴らしいと思う。クラシックとして、シューベルトと並べてもいいのではないか。(モーツァルトでもいいけど。
元YMOの芸大出身の方は、なんかこう難しくなって、現代音楽特有の不協和音が続いてという世界になってるのだが、それに比べるとひたすら美しいと思う。わかりやすいし。でもわかりやすいと馬鹿にされるのかな?難解にしておいたほうがいい、という風潮あるのだろう。
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