お色気・おじさんの観光地からの脱却!



 僕の小学校の登下校の原風景の中で、記憶にあるのは、支所のバス停の所にあった常磐ハワイアンセンターの歌謡ショーの月ごとのラインナップの立て看板だった。


聞いたことがあるけれども、興味はない演歌歌手の名前にまみれて歌謡曲の歌手の名前がちらほら見れ見て取れて、いきたいとは思わないが、あーこんな人たちがいわき市に来るんだ、と思いながら見ていた記憶がある。


よく名前を見たのは青江三奈、ちあきなおみ、ぴんから兄弟、水前寺清子などで、たまに西城秀樹、郷ひろみ、森昌子といった名前を見る程度だ。


福島県いわき市の田舎の企業が芸能人のブッキングをプロダクション一社一社にすることは考えられないから、おそらく司馬遼太郎さんの言うところの、東京の配電盤のシステムといった、芸能人を地方のイベントに連れてく配電盤システムの会社が一括して興行を引き受けていたのだと思う。


今ではこの歌謡ショーは一切なくなってしまった。



理由はいくつかあると思うが、一つには今の人気アーティストという人たちが地方の温泉場で営業することを嫌がるような人たちであること。


もう一つにコンプライアンスという言葉のもとに東京の芸能人配電盤システムの会社と田舎の企業が付き合うことがふさわしくない、という判断がなされたことだと思う。それは常磐ハワイアンセンターという名前からスパハワイアンリゾートという名前に変わった頃と一致するのではないかと推測するがどうであろうか。




有り体に言えば怖い人に莫大な手数料を払い芸能人を選んでもらったがペイしなくなったというのが現状ではなかろうか。


小学生のボクはこの看板に、さだまさし松山千春 、OFF course 、アリスといった名前が出てくることを期待して毎朝眺めていたが、当然のことながらそんな人たちの名前を見ることは、ついぞなかった。今なら松山千春だけは来てくれそうな気はする。



一方で、これは噂だが、常磐ハワイアンセンターで一番盛り上がったのは駐車場にスーパーカーを集めたイベントだった、という伝説がある。


またビートたけし、ザ・ぼんちといった名前に代表されるお笑いブームの時にもイベントが行われていたような気もするし、最近地元のパン屋さんでお笑いなんとか世代の人たちを集めたイベントが催されていたことを示すちょっとだけ古めのポスターが貼ってあった。


しかし何と言っても極めつけは、全盛期のピンクレディーやキャンディーズも常磐ハワイアンセンターで営業を行っていたという事実である。


古ぼけた温泉場の常磐ハワイアンセンターは毎週日曜日の歌謡ショーの営業だけが東京の香りがした憧れの場所だったのかもしれない。