有楽町で会えません。

 僕は今、戦後の日本歌謡史について色々調べているのだが、古賀政男と服部良一という2人が先導して日本の歌謡史ができたことはほぼ間違い。

 

2人の間にいて2足してで割った作風で日本の音楽史を支えていったのが、吉田正さんだと思っている。


「有楽町で会いましょう」「東京ナイトクラブ」「いつでも夢を」といったヒット曲を放っていた吉田正さんだが、有楽町で会いましょうは、もともと有楽町そごうのオープンの盛り上げるための歌だった


有楽町そごうは今のビックカメラの場所にあり、オープンにあたり歌謡番組があったり、映画が作られたり、歌が作られたりとまさに今で言うメディアミックスの中で百貨店がオープンした。




しかしその有楽町そごう、僕は見たこともないのだが、ビックカメラになってしまい、有楽町から姿を消した。


姿を消したと言えば有楽町西武も忘れてはならない。


朝日新聞の社屋の後にできたマリオンのテナントの一つとして入ったが糸井重里の名コピー「程よい狭さの大冒険」の通り百貨店としては狭い面積しか売り場がなかったそのせいかどうか、セゾングループの西洋開発という会社のバブル崩壊とともにセゾングループも崩壊し、有楽町西武も姿を消した。


ともに姿を消したが、方や「有楽町で会いましょう」方や「程よい狭さの大冒険」という名コピーを残した。百貨店を経営する人にとって、最終的に目指したい場所は銀座であるという話を聞いたことがある、ところが銀座は土地の問題もありなかなかお店をオープンすることができない、そこで妥協として出てくるのが、有楽町で、西武百貨店は有楽町西武を銀座西武と無理やり命名することは出来たのかもしれないが、銀座の百貨店の反対で、有楽町西武という名前で収まったという話はなかなかいい話である