確信犯。


とある音楽サービスのプレイリストの中に大滝詠一元ネタというのがあった。


25、6曲選曲されているのだが、頭から聞いていると大滝詠一の曲のメロディーやイントロ、間奏、サビ、二拍限りの象徴的なフレーズなど大滝詠一サウンドがあふれ出してきた。


「どこまでも行こう」と「記念樹」が似てる似てないで裁判をしたことが、バカバカしく思えるような見事なパクリっぷりだった。


岩崎宏美が歌った「マドンナたちのララバイ」に元ネタがあって、慌てて作曲者に外人の名前を加え、共作という形にして体裁を整えた、という事件があったが大滝詠一さんの場合はバレることを前提にして確信犯的にやっていると思われる。


fen を聞き洋楽の知識もたっぷりあったわけだから、例えばさらばシベリア鉄道はこの曲とこの曲のこの部分とこの部分からできている、といったようなマル秘メモも残っていそうである。


もしバレた場合はそのメモを全部公開することにしていて、それを楽しみにしていたのではないかとすら思えるところがある。ラジオの特番か何かで。


インスピレーションを得たという言い訳をする人がよくいるが確かにインスピレーションを得る事っていうのはあるんだろうなと思う。


今回のこのプレイリストを頭から聞いて大滝詠一さんに対する敬意や熱狂が消えたかといえばそんなことはまるでない。むしろもっともっと聞きたくなっているような感じがある。


若くして亡くなってしまった大滝さんがどのようにしてネタばらしをしようと思っていたのか興味があるところである。


僕は大滝詠一という人の熱狂的なファンとは言えないが、不思議なもので、月が地球の周りを回っているようなもので、ある種の間隔を持ちながらずっとぐるぐる離れず回っているような姿勢で大滝詠一さんの曲を聴いているのである。


仲良しで同じく洋楽通の山下達郎さんはこの大滝詠一さんの癖に気が付いていたと思う。

それをどう感じていたのだろうか。