僕は沖縄県にある会社を訪問しなければいけない仕事をしていたことが一時期あった。
(学生時代、友達に沖縄旅行を誘われたが、なにかの理由で僕は参加できず、友達達で行ったら、TUBEのザ・ベストテンの中継が、ホテルのプールサイドであったらしい。最後ははプールに飛び込むというクリエイティブな演出で)
一社だけで、打ち合わせ時間は1時間前後である、となると驚くべきことに、日帰り圏内になるのである。
朝早く飛行機に乗り、お昼前後につき牛肉をベーコンで巻いたステーキ屋さんまでタクシーを飛ばし、その後打ち合わせを行い、終わるや否や空港に向かうとナント沖縄日帰りと言う誰しもが想像だにしない1日を終えることができるのである。
(お土産も買えない、ブルーシールのアイスも食べられない。)
打ち合わせ先に、満足頂けるようなお話を毎回できないまま、帰りのタクシーを飛ばし、空港内を走り飛行機にまさに飛び乗るのである。
靴を脱いで保安検査を受けたが、靴を履いてる間に呼び出しアナウンスがかかり靴も履かずに靴を持っ飛行機まで走り、座席に着くや否や飛行機が動き出す、そして水をもらうという慌ただしいこともあった。
だからリゾートの沖縄も知らないし、米軍に悩まされている沖縄も知らない。
沖縄をまるで知らないのだ。(写真は僕の知らない沖縄)
本土復帰50年という記事を読んでも正直サザエさんにそんなネタがあったなという程度しか連想できるものはない。
たまに地元を飛行機が飛んでその爆音に驚くとき、沖縄ではこれが日常なの?と想像を巡らす程度である。
沖縄の基地を全国に分散すべき、とか思っても、住んでるところは勘弁してほしいし、無くすって、こんな非安定の国際社会で?と思うし、まぁ、思考停止してしまい、沖縄の基地問題を忘れたふりをするのである。
まるで、一泊すれば、飲むことになっていたピナコラーダを思うように。
なので、沖縄というと、「瞳を閉じて」が頭に流れ出すのだ。
沖縄問題にも瞳を閉じているが、たまにハンガーストライキを伝えるニュースなどを聞くと、瞳を開くのだが、政府の無能を嘆いて終わるだけなのだ。
追伸
「even if」もたまらなく好き。