夏の終わりになぜ人は詩人になるのか?

 清少納言も気がつかなかったことを、小生は気づいてしまった。💦


日本には四季がある。四季があるということは、それぞれの季節の終わりもある。


ところが、春の終わり、秋、冬の終わりには特別感傷的にならないのに、夏の終わりだけ異常に日本人はセンチメンタルになる。


思い出のビーチクラブ(稲垣潤一)、秋の気配(オフコース)など秋の終わりを歌った歌には名曲も多い気がする。(多い気がすると書きながら2つしか挙げられなかった!)井上陽水と安全地帯の夏の終わりのハーモニーもあった!(追記)


春の終わりなんて歌にならないもんね。


そんな中、夏の終わりの名曲を見つけてしまった。大橋純子が歌う「過ぎ去りし夏」。


服部克久のアルバム音楽畑用に作られたようで作詞は大橋純子、作曲編曲は御大。


夏の終わりにピッタリのメロディに物寂しい雰囲気を煽るアレンジが素晴らしい。

サブスクにはあるようなのでぜひ

このリンクの12:44にあります概要のところにリンクあり。

ライブなのにアルバムとほぼ同じサウンドできけるのがすごい。

夏の終わりの夕方のビーチとかは歌になるのね。


今年の夏の終わりは、この曲をイヤホンで聞きながら、湘南の海辺を歩いてみたいものである。

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