就職前線異常あり③電柱(仮称)の青田ならぬ早苗狩り

 僕の時の就職活動は、四年生の春頃から始まったが、実は僕の就職活動は後で知ることになるのだが、三年生の秋から始まっていた。


3年の夏の終わり、商学部の掲示板に「電柱(仮称)クリエイティブ塾 塾生募集」というポスターが連張りしてあった。


今まで広告クリエイターなんて考えたこともなかったのに、何故か応募要項をメモし、応募するぞ!と燃えていた。(今ならスマホで写真を撮るが、当時はメモ書きするしかなかった)




作文を書いて、送ったら、「面接します!」という連絡が来て、土曜日築山に向かった。


ズラッと現役のクリエイティブディレクターが並ぶ中、面接された。(当時一世を風靡していたジェーアール名古屋(仮称)のクリスマスエスプレッソ(仮称)のクリエイティブディレクターの日とかヒーローみたいだった)



言葉を自由に使いこなしたい、と努力している、と生意気なことを云い、そして受かった。


そして毎週土曜日午後、講義を受け、翌水曜日に課題の締切があり、土曜日に講義を受け、課題の講評を受ける繰り返しだった。


楽しかった。終わったあとは、築山の長寿庵という蕎麦屋の二階や、ダッキーダックでみんなで御飯を食べて、話をしまくり、解散するのがルーティンだった。


大学の違う少し尖った学生と交流摺るのは楽しかった。大学とは別の世界が一つ持てたのも嬉しかった。



最初に書いたように、僕は気が付かなかったのだが、この塾は、広告クリエイティブ職の青田買いの現場だった。


それを知って、最初の頃の課題が、そこそこ評価されていたので、僕はすっかり電柱の就職を意識して、つまらない保守的なアイデアしか浮かばなくなった。


塾生の中から、誰かが面接に呼ばれた、的な話が噂される中、僕はお呼びではなかった。植木等だ。ぼわーん


が、春のある日、吉田栄作がCMをしていて、気に入って買ったシャープのコードレスフォンが鳴った。


to be continued

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