小学校の当時の通学路はもはや変わり果てた姿になってしまった。
ほとんど、田んぼの中を歩いてた。
田んぼの一部がソーラーパネルの置き場になってしまったものの、どっこい残っている。
田んぼが残っていれば用水路も残ってる。小学生の原風景。
この小川にメダカとかオタマジャクシがいて、帰り道取ったなーと。
「春の小川」という童謡を思いだす。
あれ舞台どこだっけ?ブラタモリでやってた記憶。
ググれば簡単渋谷区でした。
今度は「焚き火」の舞台が気になる。
焚き火なんて死語ぽいけど。
これもブラタモリでやってたような。
こちらも検索。
中野区でした。
こんな光景見たことないけどな。www
そう言えば、昔友達と千葉県をドライブしてる時、聞いたのは、「月の砂漠」の舞台は御宿だ、と。駱駝いたのか?!
便利な言葉「諸説あります」が「荒城の月」
滝廉太郎作曲の名曲なんだけど、楽譜見て驚いた。ほとんど四分音符でできている
中学生の作曲大会でもこんな大胆な楽譜書けないよね。
で、この舞台がどこか、については西村京太郎もミステリーを書いていた程なんだけど、その一つの候補が会津の鶴ヶ城ではないか説。
戊辰戦争で破れた痕は相当荒城だった、と。作詞の土井晩翠が会津の催事に招かれて、舞台はここ鶴ヶ城です、と言ったそうなんだけど、リップサービスかもね。
熊本県竹田市という説が有力みたい。
しかし、凄い詞。
この頃の日本人の日本語運用能力には驚かさせる。
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