維新の都大阪から遠く離れた東北のいわき市で毎日放送の電波を夜は比較的クリアに受信でき、
「ヤンタン」を熱狂的に聞いていた。
関西の本屋に並ぶであろう、ヤンタンの本「ヤンタンブック」も毎年市内の最大の本屋ヤマニ書房に並ぶほどの人気だった。
僕は明石家さんまがメインの月曜が一押しだったが、気がつくと勉強も疎かになりつつ、全曜日を聞いていたりした。
一応ラジオを聞く時間は、単語カードを作ったりと作業の時間に当てた。
谷村新司さんとばんばひろゆきさんとアナウンサーの金曜日も友達が好きで聞いていて、サービスでちょっと聞いてみて、ハマってしまった。ミイラ取りがミイラになる、ってやつである。
僕が当時勉強机に置いていたラジカセがこれと同機種。
シンセサイザーチューナーと言って、ラジオ局を車のチューナーみたいにボタンを押して選局できた。
ヤンタンがCMの間に文化放送の吉田照美を聞いたり、三宅裕司のヤンパラを聞くなど、ピッ、ピッとザッピングしていた。
(TBSは不毛な時間だったのかなぁ、聞いたことなかった。春風亭小朝はもう少し前だよね)
ヤンタンにはハガキを書いて、読まれてステッカーとか貰った。勿体なくて貼れずに失くした。
クイズに回答するため放送局に電話をしたら、電話オペレーターの声が何処かで聞いたことある声、そう!あれはMr.オクレさんだった!!なんてこともあった。
こんなに熱心にラジオを聞かなければ、浪人をしないで済んたもしれない。
大学四年の就活の時期、竹橋の毎日放送東京支社に面接を受けに行った。
TBSの深夜は聞いていなかったが、はずみで大沢悠里の話を長くしてしまい、面接は一次で落ちた。あんなにヤンタン聞いていたのに。無念。 回収できず!
その後大阪の放送局で働くため、引っ越して、若者の街茶屋町にMBSが移転してきていて、千里丘まで行く気はなかったが、茶屋町なので、一階のパブリックスペースにあるコーヒーショップでお茶したりした。
移転したとはいえ、聖地巡礼だった。今もヤンタンは放送されているという。素晴らしい!
ワーワー騒ぎながら立入禁止のエリアからパブリックスペースに移動してくるスタッフの一軍がヤンタンのスタッフだったりしたらどうしょう?この集団の一員になるたかもしれないのにな、と思いながらぬるくなったカフェラテを飲み終えてしまい、幻想とともに空き容器をゴミ箱に捨て寒い大阪の街に消えた。
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