東京では半透明のゴミ袋が使われていた。
これは中身が見えるゴミ袋に対する市民やメディア反抗の賜物が、半透明という妥協の産物を生んだものだと思う
残念ながらメディアの影響力が強くない田舎では完全透明なゴミ袋が指定されている。
ところが 庶民の知恵と言うか お上に対する反抗心というか、ゴミを捨てに行って驚いたことがある。
透明なゴミ袋の中にスーパーの買い物袋を何個も詰めて中身を見えなくするのはまだまだ序の口。
透明のゴミ袋を古 新聞で完全に覆い、中身を見えない状態にしてからゴミを捨てていたり なかなかのアイディアの展覧会だった。
透明化の意味ないじゃん!
きつねとたぬきのばかしあいだね。
ゴミの話をもう一つ。
福島県の会津のどこかの自治体の話。
ゴミ焼却炉が古くなり 新しい 焼却場を作ったらしいのだが 、1日に処理できる量が前より少なくなり でるゴミを減らすというのが急務になった。
市民にゴミの削減を呼びかけたが、思うような結果がでなかった、
処理能力の小さいゴミ 焼却場はできてしまったので、市民にゴミ処理の有料化 を考えているという。
そもそも少ない 処理能力のゴミ焼却場を計画し 建設したのが間違いではなかろうか。
役所というのは責任を取らないものである。
新聞紙でバリアを作って何でも捨てられる透明のゴミ袋もほとんど意味をなしてない。