ここで一曲。の功罪

 僕は若い頃、天才副部長と呼ばれている方にお使いした。  


その人は落ち着きがなく、挙動不審な感じもあるが、www物の考え方が非常に優れていて、それゆえに天才と言われていたのだと思う


天才の方にお仕えするというのは非常に大変なことだった、とはいえ学ぶべき事も多かった。


その人が言ったことで未だに何の役にも立たないのに覚えているのは、ひとつのコーナーが終わった後「ここで1曲」というラジオ番組でよくあるスタイルを忌み嫌っていたということである。




「ここで一曲」と喋り手が言うたびに「聞き手の整理を考えろ」と独り言のように言っていた


最近、地元のコミュニティ FM の番組を聞いていると、「ここで1曲」のオンパレードである。


メールを紹介した後、告知をした後、パーソナリティーが少し喋った後、息をするかのごとく「ではここで一曲」といいリクエスト曲がかかったりする。


 YouTube や Apple Music などが全盛の時代に「この曲が聞きたいから」とラジオ局にリクエストする人、というのは一体どういう人なのだろうか?


ここで一曲の時間を使って地元の情報やころなかで頑張ってる商店の情報をちょっと伝えるだけでも街が活性化したりするのではないだろうか自己意識の強いユーザーのここで曲を紹介して JASRAC に使用料は払うよりは有効な電波の使い方だと思うのだが。